【2月12日(日)】どれくらい、頑張れるかなぁ~?!

爺の隠居暮らし
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
*フィリピン時間 7:00
*天候=曇りのち晴れ
*気温=24℃
*湿度=72%
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 肌寒い朝夕の...MNLです。
毎晩、シャワーを浴びた後...、
長ズボン、長袖のパジャマ、靴下着用の日々ですが...、
明け方は薄手の毛布だけでは...、
肌寒さのために目が覚めてしまうので...、
義妹に貰った使い捨てカイロを腰に貼って寝ています。
『例年ならパンパンに乾いている裏庭、ことしは苔が...!!』

 今朝8時、カミさんから電話がかかってきました。
おととい、3歳になった”弟”が「クヤ、クゥ~ヤァ~!!」と私を探しているといいます。
カミさんの携帯を通して、その声が聞こえてきます。
昨夜、カミさんがカバナツアンの家に到着した時、”弟”は既に眠っていたそうで...、
今朝になってカミさんの姿を見つけて、“クヤ”の姿を探し始めたとのことです。
『可愛いなぁ~!!』

【義父が逝って...】
 きのうから、カミさんがカバナツアンの田舎へ里帰りしました。
昨年暮れ以来、2週間の内10日がマニラで、4日が田舎暮らしを繰り返していました。2年前に手術をした義父の容態が悪くなり、爺も12月に顔を出してきました。かつて元気だったころの面影は消えて、痩せてしまい、爺に向かって...“Walang pag-asa”などと言うほど気弱になっていました。
『こんな時にいう言葉を知らないんだよなぁ~!!』

 その義父、先月29日の日曜 日深夜に息を引き取りました。
フィリピンに移り住んでから、何人かの友人、知人の方々が亡くなりました。お通夜には出かけたことはあったのですが、お葬式に列席したのは近所の頑固爺さんが亡くなった時だけでした。頑固爺さんは生前の希望で火葬されましたので、フィリピン式のお葬式は義父が初めてでした。
 
 父母の葬儀をよく覚えていないのですが、祖母の葬儀の際、棺に入った祖母と最後のお別れをした後、棺の中に菊の花や愛用品を収め、蓋をして、石で釘を打ったことを覚えています。
『16歳の少年には...、
 それがとてもショックだった!!』

 用足しに走り回っていた爺は、最後のお別れの“儀式”に間に合いませんでした。カミさんから連絡が入り、墓地で待つことにしました。まだ新しい墓地でしたので、埋葬の準備をしている場所を見つけるのは、然程、難しいことではありませんでした。近くに車を止め、義父が埋葬される穴を覗き込むと、予想外に深いことに驚きました。そして、その傍らには棺を納めるコンクリート製の箱が置かれていました。

 しばらくして、霊柩車や家族を乗せた車やジープ、トライシクルの車列が到着しました。
様々な儀式を終え、とうとう埋葬の時がきました。
 4人の担ぎ手により棺がコンクリート製の箱の中に収められました。
ふたりの係がコンクリート製の箱の縁の部分にセメントをのせていきます。
そして、手動式のクレーンでコンクリート製の蓋が箱の上に置かれました。
箱と蓋の隙間にセメントがぬられ、密封されました。
この時、祖母の葬儀の際の釘打ちを思い出してしまい、急に息苦しい思いになってしまいました。
『50年も前のことなのに...』

 葬儀の時、芝生の上を走り回って遊んでいた“弟”たち...、
もう少し頑張らないと、彼らの記憶の中に爺の姿は残らないでしょうね。
『どんな記憶を残すことができるのかなぁ~?!』

************ さらんご~ら ******************
さらんご~ら[saranggola]:フィリピンの言語、タガログ語で「凧」の意。
【用  法】大空を自由に飛び回る凧に託して、フィリピンでの気ままな暮らしぶりを表現。
【現  実】凧糸の端をカミさんにしっかりと握られ、自由、気ままなのは、凧糸の長さ分だけ。
【同意語】お釈迦さまの掌の上から出られない『孫悟空』。
【ウエッブサイト】さらんご~らのフィリピン隠居暮らし どっぷり17年目
*************************************

スポンサーサイト
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
最新コメント
カテゴリ